スピーチの鉄人

2009年12月12日 06:41

人前で話すことがうまくできずにコンプレックスを感じていた私ですが、トーストマスターズクラブに入会して研鑽を重ね、2005年の全国大会で2位に入賞することができました。2002年に入会してから現在までに行ったスピーチ・プレゼンはおよそ100本。まだまだ「達人」「名人」の域には達しませんが少なくともこれだけのスピーチの積み重ねによって少なからず自信と度胸がついたのは事実です。
ところで「鉄人」を辞書で引いてみますと、「鉄のように力や体の強い人」(広辞苑第5版)だそうです。鉄人といえば往年のプロレスラーである鉄人ルー・テーズ、鉄人28号などはこの辞書通りのイメージですが、「料理の鉄人」になると、どうでしょう?一つ事に長年打ち込んでいる頑固な職人という面はありますが、料理の世界ならではの柔軟な発想力や、臨機応変なアイデアもまた感じられますよね。私の専門である建築の世界でも鉄筋、鉄骨は掛けがえのない身近な材料です。鉄というのは必ずしも頑強な硬さばかりではなく、加工の方法によって様々に変化し、粘り強くもしなやかにもなります。ブログ開設にあたり、今後ますます精進して、力強く、そして時には繊細なスピーチを作っていきたいとの考えを「スピーチの鉄人」という言葉で象徴してみました。トーストマスターズクラブの活動は会員にとって持続性のある、学びと自己成長の機会、そして何よりも自分自分が確実に変わったという自信を与えてくれます。
これまでに武蔵小杉、八千代、輝、溝の口、神奈川、千代田、飯田橋、新橋と新しいトーストマスターズクラブ作りにかかわってきました。新しい会員たちの成長を手助けして自信を持ってもらうのも私の楽しみの一つです。これからも新クラブ作りにかかわっていきます。

スピーチを始めるパターン

2009年06月28日 06:33

スピーチを始めるときのパターンとしては2つの流れがある。ひとつは定番通りといってもいいのだろうが、「司会の○○さん、暖かいご紹介有難うございます。聴衆の皆さんこんにちは。云々・・・」と、いわゆる挨拶から入る方法。これはトーストマスターズのスピーチマニュアル(アイスブレーカー)にも載っていて、初心者向きなのだろう。しかしこの手法は往々にして肝心のスピーチに入る前に時間を使いすぎてしまう恐れがある。特に司会者がちょっとひねった紹介をしたりした場合には、それに反応して一言返したりしたくなるものだが、ここは我慢のしどころ。アドリブでの対応がいい結果を出すことなどほとんどない。と思っていたほうが無難だ。挨拶はさっと切り上げて本題に入っていくのがいい。
もう一つの方法は、余計な挨拶を一切しない方法。いきなり「皆さんは自分の周りの壁をご存知ですか?」とか、「風になれ!」など、聴衆の興味を引くフレーズで一気に自分の世界に持っていくのだ。限られたスピーチ時間でいいたいことはたくさんある。たとえ30秒、1分といえども捨てるわけにはいかないのだ。私は断然こちらのほうを推薦する。世界大会のファイナリストのDVDなどを見ても、ほとんどのスピーカーがこの方法をとっている。しかし面白いのは、聴衆の興味を引き付けたところで。「Contest Chair」と司会者に向かって一言かけること。司会者はこの一言を受けて椅子を用いるという慣習らしい。
いずれにせよスピーチの目的は聴衆に対して自分の考え、メッセージを効果的に伝えることだから、第一印象がとても重要だ。皆さんもぜひ印象的なフレーズで自分のスピーチを始めてみてはどうだろう。

香港のコンベンション報告

2009年05月18日 23:54

2009年5月15日から17日まで私を含めて総勢7人の日本人が、香港で行われたコンベンションに参加してきました。このコンベンションはシンガポール、香港、タイ、マカオという4地域の大会です。初めての参加で戸惑うことばかりでしたが、何よりもそのスケールの大きさやパーティの熱血的なこと、周到な準備には驚かされました。
3日間朝から夜遅くまでの密度の濃いプログラムは日本のそれがまだまだであることを強く印象づけられました。聞けば香港の沢山のクラブと50人近くのメンバーが1年半前から準備してきたとのこと。さもあらんと思わせるに相応しい充実した大会でした。
メインイベントであるコンテストについては、国際スピーチコンテストとテーブルトピックスコンテストを各々英語と中国語で計4つ開催です。それだけでも日本から考えれば圧倒的なのですが、そのメインがかすむほど沢山の充実したプログラムがありました。
世界チャンピオンによる講演が午前午後で2本、そのほかトーストマスターズでありコンサルティングなどで話す職業をしている方たちによる選択制のワークショップが8本、夜毎のパーティの演出の見事なこと、ネームタグやプログラムもしっかりとしたもので感銘を受けました。会員の数や複数の国にまたがるというように背景が違うとはいえ、同じトーストマスターズのコンベンションです。これからの日本の大会がどんどん充実していく余地があるということを改めて感じました。
決して英語が得てではない近江ですが、香港やシンガポールの方たちと1対9ぐらいで話しながら、っコミュニケートする大切さと楽しさを再解任できたことも大きな収穫でした。またどこかのコンベンションに参加したいと思う充実した3日間でした。

ディナーパーティにて
こちらは香港の役員さんと

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シンガポールの会員との記念写真

100本目のスピーチ

2009年05月03日 21:23

トーストマスターズに入会して初めてのスピーチを2002年9月18日に行ってから7年、積み重ねたスピーチがついに100本目になった。2009年4月28日、新橋トーストマスターズクラブでの記念となるスピーチは、基本マニュアル#10、タイトルは「壁」。自分の限界を自分で決めつけずに広げようというメッセージを込めて、これからも進化していきたいという思いを話させてもらった。3回目の#10だったけれども、今までで一番いい出来だったように思う。トーストマスターズの中では100本どころか200本スピーチをしてる先輩もいる。私もひと段落ではあるけれど、現状に安住することなくさらに自分の限界を広げていきたいと思う。

20090322 東京マラソン 4時間16分53秒で完走 
20090322ゴール

#10 壁  2009/4/28 新橋トーストマスターズクラブ例会にて

皆さんは自分の周りに壁・見えない、触れない壁があるのをご存知ですか?
私は、毎日この壁を少しずつ少しづつ無意識に積んできました。そして今、私は自分でつんだ壁を打ち破ろうとしています。
昨年のアメリカ大統領選の民主党予備選は史上まれに見る接戦でした。そして、オバマ、ヒラリーのどちらが勝っても歴史に残る大統領選挙になりました。ヒラリーが勝てば史上初めての女性大統領、オバマが勝っても史上初めての黒人大統領でした。わずか10数年ほど前には、女性大統領は50年先、黒人大統領は100年先といわれたことがうそのように、鮮やかにオバマ大統領が誕生したのは皆さんご存知の通りです。オバマさんは黒人なのにどうして大統領になれたのでしょう?アメリカは決して自由と平等の国ではありません。それを身をもって実感してきた黒人のオバマさんだからこそその矛盾を指摘し、その理想を高らかに歌い上げ、その尊さに向かってアメリカ市民を勇気付けることができたのでしょう。オバマさんは自らの努力と勇気で黒人の壁を見事に打ち破ることに成功したのです。
翻って私自身のことです。私はこう見えてすごい人見知りでした。小学校のころは、いつも母の後ろに隠れていて、親戚にも挨拶すらできなかったことを覚えています。本を読むのが好きで、いつも図書館と本屋さんに入り浸っていました。人と話をするよりも一人で本を読んでいる、ボクはそれでいいんだ。ジミーな少年でした。長じて会社に入ってからはさすがに母に隠れるわけにも行かずに仕事では話せるようになりましたが、三つ子の魂百まで。仕事以外の雑談や女性との会話は苦手でした。でも私は技術屋は無口でいいんだ。そう思って生きてきました。そんな私に変わるきっかけを与えてくれたのはトーストマスターズです。入会して7年、最初のころには足がガクガクしていたテーブルトピックスや準備スピーチですが、今ではその緊張を隠して話す術を身につけることができるようになりました。初めて参加したゲストさんに会長の名刺を出して入会をさそうのもスムーズに、にこやかにできるようになりました。私はトースとマスターズで褒められ、励まされ、自信をもち、人見知りの壁を破ったのです。
今はこのような体型を維持していますが、実は10年前、私はポニョでした。
メタボというほどではないにしろ、昔から体育や運動は大っ嫌いでしたし、それでいてお酒や飲み会は大好きでしたから体重はうなぎのぼりでした。逆上がり、跳び箱、ドッジボール、ぜーんぶ苦手で、クラスの中で一番最後までできませんでした。運動会の前の日の日課は雨乞いです。大人になってからもゴルフもテニスもまったく興味なし。スポーツはTVで見るもの、愛読書のひとつは題して「運動すると早死にする」そんな私を変えたのは高橋尚子さんのシドニーオリンピックでの一言。高橋尚子 Qちゃんはこう言ったのです。「すごーく楽しい42キロでした。」
その一言で衝撃を受けた私がちょうどトーストマスターズでいつかフルマラソンを走りたいと口走ってしまったのは入会式のときでした。その言葉がなぜか現実のものとなりマラソンに挑戦して完走したお話は2005年のスピーチコンテストで話した私の代表作となりました。私は運動オンチだったがゆえに、フルマラソンに挑戦することがどんなに無謀なことかも知らず、運動オンチの壁を打ち破ることに成功したのです。
私が苦手だったものがもうひとつあります。英語です。中学時代からあまり興味もなく英検4級は取ったもののそれで打ち止め、ちなみに漢検は2級不合格でした。就職した会社は紛れもない日本の会社。結婚相手も日本人。もちろん子供も日本人で、日常的に英語を使う必要性はまったくありません。たまーに行く海外旅行でも基本的に日本食や日本語の通じるホテルを選び、必要な英語といえば何年経ってもHow Much?
これじゃいかん。やっぱり英語は身につけてキャリアアップを図ろう。毎年4月にはそう思うので、私の家にはNHKのテキストの4月号が沢山あります。その背表紙を見るにつけ、これまでの学習意欲と挫折の日々を思い出して、そしてこう自分を慰めてきました。
「どうせ英語なんて使わないさ」
そんな私に突破口を与えてくれたのはやはりトーストマスターズクラブです。2006年、私はエリアガバナーに就任。私が所管するエリアには沢山のバイリンガルクラブがあり、よけて通れなくなったのです。必要に迫られれば何とかしなくちゃならない。私は不慣れながらも少しづつ英語に慣れて、バイリンガルクラブにも入会。そしてこの6月からは表参道バイリンガルクラブを会長として立ち上げるというところまで自分を追い込んでしまいました。
私は今まさに、これから英語の壁を破っていこうとしています。
さて皆さん、私は自分が苦手だった3つの壁を打ちやぶり、自分の限界を広げようとしています。オバマさんやヒラリーさんの壁と比べれば取るに足りないかも知れないけれど、自分にとってはすごく大きい壁でした。だけど今自分で振り返ってみると、その壁は誰が作ったものでもない、自分の生きる過程で毎日毎日自分積み上げてきた見えない壁だったことに気づきました。グラスシーリングという有名な言葉があります。女性の社会進出、女性の昇進をさえぎる見えない天井という意味です。私たちは、知らず知らずのうちに、自分で自分の限界を見えない壁として積み上げてきたのです。その壁は自分でも見えないし、触ることもできませんが、自分の視界をさえぎり、自分の限界を狭めています。人見知り、運動オンチ、英語嫌い。私が苦手だったこの3つの壁は自分が意識することでいつの間にか崩れ去り、破られていました。
皆さんにも何かしら苦手なもの、やりたいけどできないこと、本当はもっと得意な分野があるはずです。皆さんチャレンジする前に諦めていることはありませんか?自分で見えない壁を積み続けていませんか?自分で自分の限界を決め付けていませんか?

何かを始めるのに遅すぎることはないといいます。無限の可能性を信じて自分の周りの壁を打ち破り、自分の限界を広げてみませんか?
あなたの周りの見えない壁。勇気を出して打ち破ってみませんか?

東京が一つになる日

2009年04月08日 06:26

2009年3月22日午前9時。強い風にもかかわらず都庁前に勢ぞろいした3万5000人のランナーたちの中に、私も立っていた。今回の応募者は20万人を超え、まさにアジアでも最大規模となった3回目の東京マラソンに、幸運にも3回連続で参加することができる。
氷雨に泣かされた第1回、好天に恵まれた前回。初めて3月開催となった今年は、どんなレースになるのか期待と興奮が気持ちを盛り上げる。いかんいかん。いつもこの興奮を抑えることができず前半飛ばしすぎて30キロすぎで失速するんだ。抑えて、抑えて。
9時10分、号砲一発。紙吹雪に見送られて都庁をスタート。飯田橋までの下り坂を極力抑えて走ったつもりなのだが、やはりこの怒涛のようなランナーの奔流の中で平常心ではいられない。日比谷から芝公園、品川で折り返して銀座、浅草へ。応援の人並みが途切れることがなく、声援をかけてくれる人、ハイタッチを求める人の波に応えて、大東京を走れる喜びを実感するうちに知らず知らずペースが上がってしまっていたようだ。
今回は過去2回の大会以上にエイド(給水、給食)やトイレ、医療スタッフの充実が進んで、ランナーにとっては最高の大会だと思う。TVでどこまで放送されたかわからないが、ドクターランナーの並走やAEDスタッフの自転車部隊は心強い限り。そして仮装のランナー、80歳以上の高齢者ランナー、視覚障害者のランナーも伴走者と一緒に有明のゴールを目指している。42キロという距離を走るという単純な行為の何が人を引き付け、応援に駆り立てるのだろう?
途中からの雨や強烈な向かい風の中、痛む足を引きずりながら、それでも大東京のど真ん中を一歩一歩ゴールを目指して進むランナー。そしてそれを明るい笑顔で励ます沿道のボランティアと観客。そのボランティアさんはみんな素晴らしい笑顔だ。給水のスタッフの手は凍えて真っ赤にはれあがっているのに。苦しみ、もがくランナーと笑顔のボランティア、そして100万人以上の沿道の声援を受けて、本当に東京がひとつになった。そんな実感がした素晴らしい大会だった。記録的には4時間15分と自己ベストを出した昨年の土浦マラソンより25分以上遅れてしまった。つくばの前3か月で511キロ走ったのに比べると、今回は正月明けに風邪を引いて走れなかった期間もあり408キロどまり。この100キロの差がきっと影響したんだろう。走った距離は裏切らない。野口みずき選手の名言がふと頭をよぎるが、今の私にはこれ以上のトレーニングは難しい。それより東京マラソンは記録ではない感動を与えてくれた、そのことに感謝しよう。

20090322東京マラソン



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